受賞者は、下記の方々です。

最優秀賞

私の原点  阿部勝自動車工業株式会社 渡辺佳恵

「カーライフアドバイザー 渡辺佳恵」、その文字の横に二十三歳の自分の写真。メンテナンスパスポート、お車をご購入されたお客様が次の車検まで使えるオイル交換無料券や定期点検のクーポン、車検基本料金が含まれたチケットです。入社四年目、経理の私は整備から上がってくるメンテナンスパスポートを使い車検を受けたお客様の手続きをします。入社一年目私は営業マンとして車の販売をしていました。当時ご購入していただいたお客様が続々と車検を受ける時期となっています。自分の写真のシールが貼られているメンテナンスクーポンを手に取ると少し照れくさいですが、嬉しくもあります。

つい最近も佳織さんというタントのお客様が車検を受けに来てくださいました。私の初めての販売担当となったお客様です。とても明るく気さくな方です。六歳と一歳の息子さんと旦那さんの家族四人で車を見に来た佳織さんは初めて自分の乗る車を探しにご来店し、コットンアイボリーのタントを気に入ってくださいました。入社して四ヶ月だった私は車の知識も無いに等しく、また接客も慣れず説明もたじたじだったと思います。佳繊さんの旦那さんは車が好きなようでヘッドライトをHIDにしたいと言われた時は絶句し、事務所の先輩に助けを求めたのを鮮明に覚えています。そんな不慣れな私に対し、佳繊さんは嫌な顔一つせず新車のタントに決めてくださいました。そして帰り際、「渡辺さんの初めてのお客さんになれて嬉しい。納車楽しみにしています。」と声をかけてくださいました。車のことも、接客も自信の持てなかった私に大きな勇気を与えてくれた一言でした。

お車ご購入から三年。車検時も「渡辺さ―ん!いつもありがとね」と明るく声をかけてくださる佳織さん。佳織さんが来店するたびに気になるのがお子さんの成長です。一番上のお兄ちゃんはもう小学三年生。いつも佳織さんに甘えていた下の子もよく話すようになりました。そしていつの間にか三番目のお子さんが!佳織さんと出会い、車を通じて人と人との繋がりのありがたさを教えてもらいました。これからも佳繊さんの販売担当で居続けます。

私の阿部勝との出会いは大学四年生。就職活動中、就活サイトで阿部勝を見つけ、説明会へ参加しました。社長のお客様への誠実さ、部長の勢い、おもしろいことをやっている会社が石巻にもあるのだと目を輝かせ選考へ臨みました。同期七人で入社を待っていた矢先、東日本大震災が官城県を襲いました。海から八〇〇メートルの阿部勝は展示車、工場の機械、ショールーム、ありとあらゆるものが被害を受けました。それでも地域の人が不便しないようにと、すぐにプレハブで営業を再開したことを船井総研の藤木さんから聞き、顔を出しに行きました。大変なはずなのに明るく声をかけてくださった先輩方。社長と部長から「内定は取り消さない」という力強い言葉をいただき、阿部勝の一員になると決心しました。七人中内定を辞退した同期は四人。去っていく同期がいる中で一緒に働く二人は友達でも家族でもない「同期」、この言葉がぴったり当てはまります。 グレートカンパニーアワードで船井財団特別賞を受賞し、社長が表彰される姿を見て、とても誇らしく、シャッターを切りながら泣きそうになりました。阿部勝自動車は、いつもはスーツを着こなす社長や部長がなりふり構わず守ってくださった場所なのだと気付かされました。

今更震災を振り返る必要はないかもしれません。ただ、震災があっても社長や部長が入社を心待ちにしてくださっていたこと。一緒に働いている同期二人がいてくれること。入社後初めての仕事が泥かきだったこと。これこそが私の原点だと思います。阿部勝で仕事をするということは石巻と生きていくこと。車を通じて地域の方との繋がりを深くしていけたらと考えます。今、阿部勝の一員として働いていることに感謝し私は今日も愛車のワゴンRで出勤します。

優秀賞

働ける喜び  株式会社八幡自動車商会 荒尾ひろみ

私が持ち歩いている愛用の手帳に書き留めた新聞の投書記事があります。「仕事ができること自体感謝する毎日である。仕事で得る達成感は何にも代え難いものです。専業主婦も立派な仕事には違いないが、私には外で働くほうが性に合っている。仕事があるからこそ体調に気を遣い、心地よい緊張感で生活にも張りが生まれる。『一生現役』という言葉に向かって、感謝して毎日を送っていきたい。」という内容で、六十代の女性のものです。

私は深く感銘を受けました。私は四十代なのでまだその女性の心境になるには早い年齢です。しかし、私は三年前に突然の病で働くことができなくなりました。幸いにも適切な治療で普通に生活を送れるまでに回復する事ができましたが、再就職はとても高い高いハードルに感じました。

悲観的になる自分の気持ちを奮い立たせ職業安定所に通いました。そこで紹介され八幡自動車商会に就職することができました。

私の体調も理解してくださり、仕事はお客さんへのダイレクトメールの誘導などをしています。

一時はもう働くことはできないかもしれないと思っていました。そんな私が働けることは、何よりも嬉しいことです。

新聞に記事を見つけた時、真っ先に手帳に書き留め、私もできることならこの女性のように六十代まで、いや、七十代、八十代まで元気に働きたいと思ったのです。

毎日、お客様を大切に思い、元気な挨拶と笑顔が溢れるこの会社で働けることに感謝します。

 

天職への道  株式会社八幡自動車商会 五十嵐紀子

私がこの会社で働き始めてから早いもので十年以上がたちました。最初は車のことが何一つ分からず覚えることが多すぎて毎日が憂うつに感じる日々でした。そんな中でも毎日少しずつ自分ひとりでできることが増えていくと嬉しく思えました。もともとお客様と接する仕事が好きでしたので、接客という仕事が好きでしたので、接客という仕事は自分にあっているように思います。日々いろいろなお客様と接している訳ですので、当然いいことばかりではなく、つらく悲しい思いをする事も今までたくさんありましたが、お客様から嫌な思いをしたことが嘘の様に忘れることができました。「また明日も頑張ろう」と背中も押していただきました。本当に「ありがとう」という言葉は素敵な言葉です。

かなり前になりますが、私の娘がまだ小さい頃でしたが「私のお母さんと一緒にくるまやさんで働くんだ~。」と言った事があります。さすがに今は言わなくなってしまいましたがその言葉を聞いたときは涙が出そうな位嬉しかったのを今でも覚えています。私はこの会社で働くようになってから本当に毎日が楽しいです。娘も私のそんな気持ちが分かるのか、きっと仕事は楽しいものだと思えたのだと思います。いつの日か娘と一緒に仕事ができる日が本当に来ればいいなぁと考える日々がまた楽しくてたまりません。これからも子供たちにお母さんは毎日楽しく仕事をしているんだ、仕事って楽しいんだと思ってもらえる様、元気に頑張って生きたいと思います。

 

天職への道  株式会社エアスト 伊藤知沙

入社して三年目、営業職として仕事をし始めて二年になりました。入社時は、事務職として仕事をしていましたが、あまりにも販売が楽しそうだったため、社長に「車を売りたい。」と申し出ました。事務の仕事が嫌いだったわけではなく、もっとお客様と直接関われる仕事をしたいと感じたからです。元々、この会社に入りたいと思ったのは、「この人たちと仕事がしたい。」と感じたからで、仕事内容に関して何もこだわりはありませんでした。だからこそ、初めて自分のやりたいことを見つけられた感じがしました。

これでも学生時代はかなりの人見知りで、大勢の輪の中に入ったり、初対面の人と関わるのがとても苦手でした。今思えば、人を外見で判断していたからだと思います。そんな自分がまさか車を売りたいと思う日が来るなんて、この会社に入社するまでは想像もできませんでした。それほど、自動車の販売は魅力的な仕事に思えたのです。

二年目の四月から営業スタッフとして販売を開始したのですが、転換時期の関係で、販売研修も特になく急に売り場に立つことになりました。店舗の人数はサービス含め七人、しかも半分は一年生。他の営業スタッフが休みの際は、私が一番手で営業に立っていました。

実際、最初は一切売れませんでした。「車売るって何。」と、毎日思っていました。勉強も追いつかず、訳が分からないまま接客をしていました。

また、後輩が入ってきていたので先輩として扱われはしますが、実際は初心者の私に対して後輩がどんな気持ちを持っているのかがとても不安でした。「何もできないくせに何であの人だけ研修もなく売り場に立っているんだ。」と思われている気がして、慕ってくれる後輩に対しても疑心しかなく、誰も信用できずに泣いてばかりいました。

それでも、売り場に立たせてくださる社長はじめ上長や、応援してくれる同期のおかげで、どんなに辛くても不思議と辞めたい気持ちにはなりませんでした。入社当初から感じていた、「この人たちと仕事がしたい。」という気持ちが私の支えでした。そして、知識がない私にできるのは、精一杯の笑顔と元気、そして女性スタッフにしかない優しさや安心感でお客様に接すること、だと気がつきました。テクニックが無いのであれば、私という存在を気に入っていただくしかない、と思いました。

そう接するようになって、徐々に車が売れるようになってきました。販売台数で新卒トップになる月もありました。すると、「なんて楽しい仕事なんだ。」と強く感じるようになりました。そして、車を買っていただくというのは、車輌本体と一緒に『期待と信頼』、『私自身』を買っていただくということだと、改めて強く感じるようにもなりました。

ある日、購入後なかなか点検に見えなかったお客様がご来店されました。私が営業一年目のお盆セールの際にパレットを購入された方で、四十代と明るい女性です。その方は到着されるとすぐ私に、「全然来られなくてごめんなさい。」と言ってくださいました。それから、パレットを購入してどれほど良かったか、ということを何度もお話して下さいました。

最後に、「あの時伊藤さんに出逢えて、この車を紹介してもらえて本当に良かった。ありがとう。」と言ってくださいました。ああ、私はこの言葉があるから、この仕事を続けていけるのだ、と強く感じました。

嫌な気持ちの時に「ありがとう。」と言う人間なんていない、と、うちの社長はよく言います。私たちはお金をもらっている立場なのに、笑顔で「ありがとう。」と言っていただける。世の中にいくつそのような仕事があるのでしょうか。営業職になって辛いことや、大変なことは確かに増えましたが、それを上回るやり甲斐、そして「ありがとう。」という言葉の喜びを知ることができました。そんな自分の仕事を心から誇りに思い、これからもお客様からの「ありがとう。」を一番もらえるスタッフになりたいです。

 

仕事は一生懸命に 株式会社八幡自動車商会 今井喜和子

「仕事は一生懸命に。」と入社前に祖母によく言われていた言葉である。今までまともにアルバイトもせずにきた私にとっては、あまり深く考えることもなく、四月に入社した。

三ヶ月の勉強、仮配属を経て、私は車検のコバックフロントへ配属された。当社の中でも業務が多く、分刻みのスケジュール、細かい作業内容のコバックフロントは、初め私にとっては苦痛としか思うことができなかった。マニュアルは人一倍覚えることに時間がかかり、接客に入ってもお客様からは怒られ、書類を紛失するなど、問題ばかり起こしていた。同期の中でも一番失敗が多い自分は、「私は何もできないな。」と横軸で比べ、仕事に対してのモチベーションもどんどん下がっていた。

いつも通りお出迎えのダッシュと元気の良いグリーターでお客様を迎え入れた。他県ナンバーで、一目見てみると怖そうな男性。「また何かありそうだな」と思っていると、案の定、車検を受けたいが納税証明書が無いとのことだった。今ではすぐわかることだが、そのとき私はしっかりお客様のお話を聞いて先輩方にどうすればいいのか聞いてばかりいた。お客様が後から見てもわかるように、運輸局の電話番号を書いたメモ用紙を渡した。私にとっては精一杯の接客だった。後日お客様の車検も無事終わる頃には、お客様と世間話をする仲になっていた。

数日後、社長と店長に呼ばれ、お客様から届いた手紙を読ませていただくことになった。内容は、「誠意・一生懸命さが伝わってきた。」とお褒めの手紙だった。失敗ばかりの私にとって、この手紙は大切な宝になった。嬉しさのあまり、夜両親にも電話で話し、両親もとても喜んでくれた。入院中だった祖母にも読み聞かせ、泣きながら喜びを分かち合った。

数日して祖母は亡くなった。親戚と祖母の昔の話になった。祖母は昔から働き者で、自宅で醤油を作り、遠くの町まで歩いて醤油を売って歩いた。祖父が病気で働くことが困難になり看病しながら働き、三人の子供を育てた。「仕事は一生懸命に。」祖母からよく聞かされていた意味がわかった様な気がした。私自身、今年母親となる。祖母の様に、がむしゃらに一生懸命に仕事をし、子供を育てていきたい。これからも、たくさんの人生の壁に当る時もあると思うが、祖母からの言葉とお客様からのお手紙を大切にし、精一杯に取り組んでいきたい。

 

~私の天職~ 株式会社カミタケモータース 江守香名子

「なぜ江守さんはこの会社に入ったのですか。」 毎年入ってくる後輩によくこんな質問をされます。 後輩のこの質問に答える度、自分の下した決断は間違っていなかった、と改めて昔を振り返ります。

「自動車業界」。教育学部だった私にとってその業界はまったくといっていいほど無縁なものでした。自動車は移動の手段、ドライブ、…無くてはならないものだけれども、自分の職業になるなんて思ってもいなかったからです。

私は北陸生まれ北陸育ちです。大学を出たら絶対北陸を出て関西で就職する。田舎出身の人が持ついわゆる憧れのようなものを抱いて就職活動をしてきました。もちろん自動車業界は興味がないので他業種ばかりみていました。しかし「憧れ」だけ抱いて関西にきても面接官には見透かされます。ことごとく希望業種は落ち、地元での就職…、そんな考えも頭をよぎりました。それでも「外へ出たい」。

ある就活セミナーで、逆に自分が興味のない業種に絞って会社を見てみよう、と言われました。それが私がこの業界で働くことになったきっかけです。

実はこの業界で働くようになって七年目を迎えますが、今でも自動車業界で働けてよかった、というようなことを感じたことはありません。そうではなく、この会社で働けてよかったと心底思って働いています。

その根底にあるものは何か、それは私の周りにいる人がこの会社にいるからです。私は四年間営業職として車の販売をしてきました。そして現在は保険業務をしています。これまた仕事の業務に関して興味があるわけでもなく、自分の知らないことばかりで毎日が勉強です。ですが、仕事が好きです。というよりこの会社でする仕事が好き、なのかもしれません。

それを思うのは社長の考え方や存在そのものが根底にあります。そして上司、同期、後輩の存在があります。

営業時代、一年間だけリーダーを経験しました。リーダー、当時の私はその言葉が意味するものをよく理解できず、悩みました。そのとき上司が「江守は江守の思うようにやればいい。かっこいいスマートなリーダーを目指さなくてもいい。悩みながらあたふたしながら、それでいて懸命に取り組んでいる姿をみて、周りの人たちはお前を助けてくれるから。」と言ってくれました。そのとき自分の中の悩みがすーっと引いていったことを覚えています。その通りにやってみると、会社の人たちは本当に私を支えてくれました。ある先輩は新米リーダーになった私を、すぐに公の場でリーダーと呼んでくれました。同期もそうです。周りが私をリーダーにしてくれました。

それから二年半、今は保険と鈑金のチームのリーダーをしています。直属の上司やまわりの人員配置は営業時代と比べて一新しました。人事異動を言われたときは、潔く「行きます。」なんて口にしましたが、本当は一緒にやってきたメンバーと離れることがさびしくて仕方がありませんでした。

しかし今、私は現在のチームが大好きです。営業時代とはまた違う壁を与えてくれ、それを超えるためのノウハウ、きっかけ、ヒントを与えてくれるからです。やる業務は違っても根底にある皆の想いは同じ…。この会社をより良くしたい。その想いがあるからこそ私はここにいます。

皆さんは悩みがあるとき、感動、涙しそうなとき誰にそれを伝えますか。私は上司です。以前の部署の上司にも、現在の上司にもそうです。なぜなら、その返答が私を成長させてくれるものだからです。そんな人に私はなりたいですし、今いる後輩にもそういってもらえるような存在になりたい。こんな人たちがいるから自動車業界でもうひと花咲かせたい、今私はそう思いながら仕事をしています。

 

大久自動車の魅力 大久自動車販売株式会社 大竹明良

大久自動車との出会いは合同企業説明会でした。当時、新卒採用を始めたばかりでしたが、他のブースとは比べものにならない明るさと元気のあるブースへ足を運びました。この時、初めて大久自動車を知り、社員の方々の和気あいあいとした雰囲気の良さに惹かれ、選考へと進み、晴れて新卒第一期生として入社することができました。いざ、働き始めると、思ったより若い人がいないなぁという印象でした。三十代、四十代、五十代の方が多く、二十代の人は一人しかいませんでした。しかし、緊張している私達にも年齢を感じさせないパワーと明るさで毎日接していただき、私も毎日がむしゃらに、そして楽しく、会社のため、上司・先輩のため、お客様のためと思いながら仕事をしていました。

新入社員なりに充実した日々を送っていたそんなある日、私が入社四ヶ月を過ぎた頃でした。午前中から私の携帯に何度も着信がありましたが、忙しさのあまり、それに気づいたのはお昼の休憩の時でした。留守電を聞くと、「お父さんが危ないのですぐに来てほしい」という母親からでした。早退させていただき、実家に向かう車中で、父親が亡くなったと連絡がありました。私は喪主として、気を張りながら通夜、告別式を滞りなく終えることができました。告別式には数多くの参列者の方がおられ、その中に上司・先輩の姿もありました。最後の喪主の挨拶の時、たまたま会社の方と目が合い、その時まで気を張っていたのが不思議なくらい涙が流れてきたのです。それまでは、家族にも親戚にも涙は見せていなかったのに、なぜか会社の方と目が合った瞬間、何かの糸が切れたように涙が溢れてきました。まだ入社して五ヶ月に満たない中でも、大久自動車そして大久自動車の社員の方との目に見えない信頼や絆が生まれました。そして私は、この会社なら一生身を捧げられると確信しました。「お客様を幸せにしたいなら、まず社員が幸せじゃないとお客様を幸せにはできない。」という社長の信念の元、大久自動車の社員は思いやりがあり、明るく元気で和気あいあいと仕事ができる素晴らしい社員の方ばかりです。私もその一員となれ、本当に幸せです。

ここ数年で私は結婚し、娘もできました。こうやって生活できるのも大久自動車があっての自分だと心から感謝しています。私が入社した翌年からも新卒採用を続け、今となっては全社員の約三分の一が新卒者となっています。「人材」ではなく「人財」というように人が財産。次は後輩が一生幸せに生活ができ、楽しく仕事ができるような環境を作ることが私の使命だと思っています。初心を忘れず、これからも仕事に取り組んでいきます。

 

天職への道 株式会社八幡自動車商会 片桐彰吾

私が自動車関係の仕事をしたいと思ったのは、中学校の頃でした。中学生の時に、自動車に興味を持ち、「自分の店を持ちたい」と思い、自動車整備の学校に進学し、(株)八幡自動車商会に入社しました。説明会の時、「この会社、面白そう。この会社なら楽しく仕事できそう。」そう思ったからです。

配属先が決まった時、正直この会社を辞めたくなりました。それは、メカニックではなく、フロントだったのです。正直、私は知らない人と話すのは苦手でしたし、メカニック希望で入社をして、なぜフロントをしないといけないのかわかりませんでした。

結局、少しフロントで頑張ってみようと思い、フロントの仕事をしていた時、お客様から言われた一言がすごく嬉しかったのを覚えています。 「コバックさん、元気良いね。私も元気になるよ。ありがとう。」

私はお客様からの「ありがとう。」って、こんなにも嬉しいものだとは思っていませんでした。学生の頃からも「ありがとう。」という言葉は何度も言われてかもしれません。ですが、お客様からの「ありがとう。」は、今までにない位、嬉しいものでした。

今、メカニックに移動して、楽しくやっています。メカニックでも、お客様との接客はありますが、最初からメカニックをしていたら、今もまだ、お客様とはうまく話ができないままの状態かもしれません。初め、フロントから仕事をさせて頂いたからこそ、今こんなにも楽しく仕事ができていると思います。私は今も、お客様一人一人からの「ありがとう。」を大切にしています。このような、接客業だからこそいただくことのできる、お客様から私達へいただける、宝物だと思っています。

これから、自分の店を持ったとしても、私は「ありがとう。」この言葉だけは、ずっと心に残して人生を生きていこうと思います。

 

お客様の笑顔のため 株式会社八幡自動車商会 川井みなみ

私は、高校卒業後に「父や母、祖父と同じように自動車にかかわった職に就きたい」ということで、この(株)八幡自動車商会に入社しました。研修、仮配属を経て、今はこの会社でたった一人、女メカニックをしています。

メカニックになり、二ヶ月くらいですが、この期間で自動車について今まで知らなかったことを知るようになり、今では基本的な整備はできるようになりました。私は、高卒でこの会社に入ったため、車に乗り始めたのも半年前くらいで、同期の中でも誰よりも車の知識は無かったと思います。

そんな中でメカニックをさせて頂き、何もわからなかったのに、今ではお客様に車の説明をしています。高校の時の私は、一人女メカニックをしているなんて思ってもみなかったと思います。男の中で一人だけつなぎを着て毎日仕事をしていますが、手が汚れても、全身オイルまみれになっても、なぜか楽しく、できることが増えていく日々にとても充実感している事を実感しています。

また、仕事の中で一番の私の楽しみは朝と夕方の入庫の時間です。メカニックで唯一お客様と直接関われる入庫は、大変な時もあるけれど、一番やりがいを感じられる所です。お客様に車の説明をし、一緒に整備内容を決めていく際、どれだけお客様を笑顔にできるか、お客様に「ありがとう」と言ってもらえるかで、私は入庫がうまくいっているのかを判断しています。せっかくお客様と関わってお話することができるのに、車の説明をズラズラ言っても私もお客さも楽しくはないと思います。その短い時間でも楽しく笑顔で過ごすことができれば、車検金額どうこうよりも満足して帰っていただけると私は思うので、これからもそのことを頭に入れ、お客様と関わっていきたいと思います。そして、整備でも今以上にできることを少しずつ増やしていきたいと思います。

最後に、私は目標としていることが一つ、「工場の太陽」になることです。どんな時も常に笑顔で、周りもつられて笑顔になるように、そこからお客様も笑顔になるよう、私は常に笑顔で過ごしていきたいと思います。

 

私が車業界で働く理由 軽スタジオ茅ヶ崎株式会社 川西洋平

私が「車屋さん」で働き始めたのが三十歳の頃、当時の私は初めての就職活動をしていてその中で昔から「車が好き!」その気持ちだけで面接・無事就職となりました。初めは「当たり前の事が当たり前に分からない、接客なんてした事が無い、ましてや数字が苦手・・・。」など「本当に自分はやっていけるのか・・・。」とても不安でした。その中で一人の先輩が「まず、仕事は覚えなくてもいいから一緒に働く仲間をしっかり覚えてやってくれ。会社には色んな特徴がある人がいる。ますは皆と仲良くしなさい。」当時、緊張し、初出動の夜に眠れなかった自分がバカバカしく思えとても気持ちが楽になりました。皆と話をしてみるとそれぞれしっかりとした「目標」があり、皆違うものの向かう矛先・目指すビジョンが一緒でした。「会社では無く一つのチーム」という一体感を感じ、私も目指す「目標に向かいました。納車にも慣れてきて「接客」も板について充実した毎日を過ごせました。その接客の中でも「お客様とのコミュニケーンョン」「信頼感」「年齢層に合わせた口調・言葉の速さ」など、お客様の足並みに揃えた、要は、ムカデ競争みたいであったり時には成約というGOALに向かい、追いつけ追い越せの勝負時などの体験もしました。営業マンの最大の喜びは「車が売れた瞬間」。お客様の最大の喜びは「お車の御納車の瞬間」。そう、瞬間だと常に思っていました。しかし。・・後にガラッと考えが変わりました。

その時に売れたから良い。納車が終われば終了。はいNEXT。違っていました。当時、私は「口だけの営業マン」になっていました。納車後のお客様からの「相談」「紹介」また、「車のトラブル」「クレーム」などを見捨ててしまっていました。=お店の「信頼」「信用」も脅かす営業マンになりかけていました。その中で社長からお話があり、気持ちが変わりました。今でも教訓としてしっかりある「顧客満足・末永いお付き合い」が持てるようになりました。売ることなど誰でもできる。納車してからのお付き合いが本当の「接客・サービス」と共に「信頼」から得るお車の「増車」「紹介」「相談」が最大の双方の「喜び」だと心からそう思える人間になりました。私が勤めていた車屋さんは私の「人間力」を鍛えて下さいました。

心に残るエピソードがあります。今、自分ができる事・・・。そう、東日本大震災の時。「私」の大切なお客様が亡くなられたのです。当時「僕」は二十四歳の時、通販御希望のお客様の応対をしていました。「レクサスのこの車ある?是非購入したいのですが・・・」新車で一千万円オーバー。当時中古車でも八百五十万は超える車輌でした。色々密なお話をし、なんと購入を前提に福島から神奈川県まで御来店していただけることに!そして御来店当日。失礼のないように正装をしてお出迎え致しました。お客様とお車の「お見合い」です。勿論、僕自身もですが・・・。逢ってまずはお客様が声をあげて「なんだ・・・まだ随分若い子じゃねえか」「俺は君から車を購入して本当に大丈夫なの???」「心配だわ」「やっぱ、ディーラーで新車買うしかないか??」などの厳しい洗礼を受けたことを覚えています。しかし、電話上での「信頼」「信用」はありましたのでしっかりとお話をリスニングし、お互い最高の気持ちと笑顔で「ご成約」となりました。その後もとても仲良く、お互い地方の「お土産・特産物の交換」「御自宅に招待され御食事」「年貿状の交換」など家族のような振舞いを体験させて頂きました。

「君の様な人から車を購入して本当に良かった。」 「君も私の家族の一員だよ?!」「本当に大好き。」 しかし、突然のお別れとなってしまいました。そう、あの震災です。

直ぐ様電話したが繋がらない。ガソリンも買うことができない。電気も計画停電。会社の運営も困難な中、それでも私はお客様が心配でたまりませんでした。そして、少し経ち自分の車を走らせ福島へと向かいました。御自宅は侵入不可の指定区域でした。まずはお母さんを探しお逢いし、お父さんが亡くなられた報告を受けました。お母さんと限られた時間の中で沢山お話しをし、僕が知らなかったお父さんを知ることができました。

私からお車を購入してからお父さんはずっと私のことを「自慢の息子だ!!」とお話ししてくれていたようです。何枚も何枚もお話をし「こうじゃない」「ああじゃないJと繰り返した何枚もの差し替えた「注文書」をみて「大した奴だ・・あいつは。」と近所の人にも自慢していたみたいです。私が御自宅にお邪魔する日が近づくにつれて楽しみで楽しみでしかたなかったみたい。お母さんから「主人の車、あるので一緒に見にいきませんか?」と言われ、到着し、グチャグチャになってしまったレクサスが目の前にありました。なぜお母さんがお父さんの車だとわかったと聞いたら「希望ナンパー」だと。当時、まったく車に興味がなかったお母さんもいつの間にか好きに。嬉しかった。私はたまらず直ぐ様、前後のナンバーを外し、お母さんに渡しました。そしたら、「私は一枚あれば十分です。あなたにも一枚差し上げます。その方が主人も喜ぶと想いますので・・・。 ビックリした。 「私がですか?」想わす声に出てしまいましたが 嬉しかった と同時に泣いてしまいました。

今でも私の大切な大切な宝物です。別に私は「宝探し」としている訳ではありません。沢山のお客様との出逢い。ふれあいが私の生き甲斐であってそれが私の全てです。大まかな「記憶」ではなく確かな「記録」としてこれからもたくさんのお客様とお付き合いします。たくさんの「元気」と「笑顔」でお出迎え。車屋さん、最高ですね。「社内」と「車内」と同じ空間なのかもしれませんね(笑)

たくさんたくさんありがとう。そしてこれからも宜しくお願い致します。

 

メッセージカードに感謝を乗せて 株式会社八幡自動車商会 木川ゆかり

私が(株)八幡自動車商会に入社してから、もうすぐ三年が経とうとしています。

私の仕事の内容としては、営業スタッフの方のサポートとして登録書類の管理や、ご納車時に必要な書類を作成したりしています。正直な所、お客様と直接お会いすることはほとんどなく、電話対応でお話しする程度です。

しかし、毎日バックヤードで仕事をしていると私まで笑顔になってしまうほどの元気な挨拶や、お客様との楽しそうな話し声、笑い声。俗に言う裏方仕事の私は遠めに見ている感じでした。

そんな中、会議の時に社長がある企業から頂いたメッセージカードをご紹介して下さりました。素敵な感謝の言葉が綴られたカードを見ながら、入社前に当社の車検部門に車を預けたときのことを思い出しました。車検証と一緒に手書きのメッセージカードが添えられていたのです。印字された機械的な文字が普通になってしまった今の世の中で、このメッセージカードにはお客様ひとりひとりへの想いを感じ、次回も車検をお願いしようという気持ちになりました。

その時の気持ちを思い出し、ハッと気が付きました。私にもお客様に感謝の気持ちを伝えられる方法がある!と。

そして自分なりにお客様の立場に立ち、どうしたら「ホクホクした気持ち」になれるかを考え、お客様のお名前も入れることにしました。手間は掛かりますが、その他大勢のお客様ではなく、お客様個人に感謝を伝えたいと思ったのです。

もしかしたらすぐに捨てられてしまうかもしれません。捨てられるどころか目も通してもらえないかもしれません。

ですが、私なりにできる感謝の伝え方として、また、何より自分自身も「ホクホク」するために、この気持ちをメッセージカードに乗せてこれからも届けていきたいと思います。

 

私ができる事 有限会社アイオート 桐花明美

「桐花さんにお願いして良かった。」この言葉は、私が初めて保険を担当したお客様からいただいた言葉でした。

入社して二年目の私が、社長から保険担当を勧められ、保険業務に携わることになりました。実際、車に対しての知識も浅く、フロント業務も未熟な私に、保険が担当できるのかと不安で一杯でした。

そんなときに、免許取りたての、しかも私の息子と同じ年のお客様が両親と中古車の購入に来店しました。私は、お客様に「我が社で保険に加入いただければ、色々なサポートができます。」と説明しました。今年になり、保険アカデミーで、トータルカーライフサポートを研修し、お客様対応の大切さを教えて頂きましたが、その時点では、「とにかく自分の子供と同じだと思ってサポートさせていただきます。ぜひ、お任せ下さい。」と保険をお勧めしただけでした。そのお客様が、納車後半年ほど経った頃に、泣きながら「事故を起こしてしまいました。桐花さん助けてください。」と電話をかけてきました。私はすぐに事故現場に向かいました。事故原因は、お客様が交差点を無理に右折したための事故でした。警察の現場検証中も相手からの容赦ない罵倒が続き、十八歳の女の子には辛い時間でした。現場に駆け付けた私ですが、実際には側に寄り添うことしかできませんでした。そんな自分が頼りなく、勧誘の時に「自分の子供と思ってサポートしますので任せて下さい。」と言っていながら何もできないことを情けなく思いました。その後、連絡がやっと取れたお母様が現場に着き、娘さんから私がすぐに現場に来てくれたこと、そしてなによりも側にいてくれたことを聞き、「お願いして良かった。」の言葉を頂きました。その言葉は、保険の知識はまだまだ乏しい私でしたが、気持ちで寄り添い、心で対応する姿勢がお客様にご理解いただいたのではないかと思いました。

お客様に対する姿勢は、お客様、そして私たちスタッフ一人一人に対しても、家族のように寄り添い、対応してくれる社長から学んだことでした。

我が社は、地域に密着した創業三十三年の車検・鈑金・販売を行う会社です。会社の待合室には、幅広い年代のお客様がご来店頂いています。親子何代にも渡って我が社を信頼し任せて頂いております。私が担当している保険は、実質的にも、会社に対しての貢献度もまだまだですが、お客様の困った時に、お客様の立場に立った、私にしかできないサポートをさせていただくという使命を持って、今後も頑張っていきたいと思っております。

 

はじめての商談と成長 株式会社八幡自動車商会 今野達弥

新入社員ということで、業界での経験は短いですが、その中でも、私に新しい発見をもたらした事例があります。 その日は、それなりに来場もあり、先輩営業マンの全員が日別目標に向けて商談中でした。仕方が無く先輩営業マンがすくまでの間、繋ぎで接客することになりました。私の接客が成功すれば、日別目標達成という重要な場面でした。

これは後から判明したことなのですが、お客様は美容師という職業柄、車に対する知識量が私よりも多かったのです。それでも懸命に対応させて頂き、見積もり提案までこぎつけることができました。

当時の私は見積書の説明ができなかったので、フォローして頂いたのですが、フォローされている私自身も「この会社すげぇな」と驚愕する程の全社をあげたフォローが始まったのです。最終的には店長までが商談に登場する事態になり、無事に話がまとまった後には「良い買い物ができた」ということで、お客様には嬉し泣きするほどに喜ばれました。私自身も嬉しく感じるとともに、「初めてでこんなに濃い商談は中々ない」と周りから言われるほど貴重な体験をさせて頂きました。

そのとき、私は気づくとともに確信しました。「新人で大した仕事もできない自分が、ただひたすらに、そして一途に、一生懸命に接客をしただけで、ここまでお客様に感動していただける・・・だったら、自分が今の気持ちのままに、更なる成長をしたなら、もっとたくさんのお客様に、より大きな感動を提供できるのではないか!」と。

そして私は心に誓いました。更なる感動を提供するために人間性を高め続けることを。商品に対する「価格訴求」には限界がありますが、それを提供する人間(価値訴求で言うところの「人的価値」)には限界がありません。私はこれから、自分がどれだけのお客様を感動させられるのかを想像すると、興奮してなりません。「感動=今の自分の価値」であると考え、少しでも多くの感動を集められるように日々努力していきたいと思います。

 

お客様の笑顔 株式会社加藤自動車相談所 斎藤美咲

入社して六ヶ月、職場にも日々の仕事にも慣れてきたものの自分の中で『納得のいく商談』というものはいまでにできないまま、思うようにいかない日々が続いていました。何か大きなでき事があったわけではないのですが、自身をなくしてしまい、いつの間にかお客様に向ける笑顔は作り笑いになっていたのです。

そんなある日の夕方、一台の車が店の中へ入ってきました。お客様は家族四人でのご来店で、娘夫婦の車を探しているとのことでした。お客様との会話が苦手な私でも会話が弾むほど、とても親しみやすいお客様で私も自然と笑顔で話していました。会話をしながら展示場を回っていると、ハイト系のワゴンかワゴン系かで迷われていらっしゃる様子。予算もあり、ワゴン系に傾きかけていたのですがおなかに新しい命が宿っているのが分かった私は。「今後、お子様がお生まれになると思うので、長い目で考えるとスライドのドアが付いている広いお車のほうがいいと思いますよ。タントという車はピラーレスと言って真ん中に柱ないので、ベビーカーなどの積み下ろしも楽にできます・・・」などと素直に自分の意見を述べてみました。すると、私の説明を真剣に聞き入って、「お姉さんの言葉にすごく説得力があった!」と、とても気に入っていただけ、タントの購入を即決していただけたのです。正直、今日は決まらないだろうと思っていたので私自身もびっくりしました。お客様が「お姉さん宜しくね!」と言ってくれる度に、私もこのお客様に全力で尽くしたい!という思いでいっぱいでした。そして納車の日、車の説明をしていく度に「すごくいい車だね~!いいね!」と何度も言っていただき、とても嬉しかったです。さらに、私がお腹の子について尋ねると「女の子なんです!名前は未だ決めてないんですけど・・・母が、『くるまやさんのあの可愛らしいお姉さんから名前をもらって美咲ちゃんにしたらいいじゃない!』っていってるんですよ!」と笑顔で話してくれたのです。私はとても嬉しく、お客様との距離もとても近くに感じることができました。それまで、自身をなくし、上手く笑えなかった私もそのときはとても笑顔になっていました。お客様の笑顔を作るのは私たちの仕事ですが、逆にお客様の笑顔が私たちを笑顔に、そして元気にしてくれるのです。私は、このお客様との出会いがとてもありがたく感謝の気持ちでいっぱいに感じています。

もともと、お客様の笑顔をたくさん作りたくて入社した今の職場。営業と言う仕事は易しいものではありませんが、お客様一人一人を大切にお客様の笑顔を作り、お客様と家族のような関係を作りたいです。

 

くるまやさん 株式会社ロータス倉本 佐々木健児

何をやってもすぐに飽きてしまう私が、この会社に入ってもう13年がたちました。あらためてよく続いているな~と思います。車が好きってこと以外は何も知らないまま独学で覚えた車の整備でしたが、入社して気づいたことがたくさんありました。中でもとても印象に残っているのが、仕事終わりの雑談の中、当時の社長(現会長)が、『俺は車を口で直せる!』って自信たっぷりに大きな声で言っていたのを覚えています。〔しゃべっただけで??またまた~、そんな分けないでしょ~。〕

それから数年後新店舗オープンにあたり、移動になり店長をさせてもらいました。部品の仕入れから店舗の準備(製作?)商品の陳列などとても忙しく楽しく過ごさせてもらいました。いざオープンするとなかなかお客様も入らず思うような結果が出ません。このままじゃいけない・・・。できることからはじめよう。先ずはオイル交換へのお客様へお礼のハガキ一件一件手書きでみんなと一緒に書きました。店舗のポップも分かりやすくなるべく大きくしました。一番変えたかったのは、大きな声での挨拶!当たり前のことをきちんとやろうと決めました。すると徐々に変化が現われ、翌年にはオイル交換台数が四〇〇〇台を超えました。

冬には手書きのスタッドレスのチラシあの手この手でアピールです。そのおかげで一シーズンでタイヤ交換が一〇〇〇本を越えました。当時のサービススタッフは私を含め3人、めちゃくちゃ忙しかったです。お客様も工場から入店するスタイルで和気藹々と作業ができていました。

当時まだ小さかった息子が幼稚園で『父ちゃんの仕事は、くるまやさん。何でも直すんだよ。』って先生に誇らしげに言っていたそうです。家では趣味の古い車を休みのたびに修理している姿、会社ではお客様の車を点検修理する姿、見ていないようで、きっちり見ているんですね~。父ちゃん冥利に尽きます。とてもうれしかったです。

二〇一一年の震災では文字にできないくらいのでき事がありました。今まで、他国、他県のことと、テレビのニュースで見ていましたが、いざ自身の身にふりかかるととてもつらく、自分の小ささに胸が苦しくなりました。できることから始めよう、またみんなで仕事がしたい。その一身で翌日からスコップを担ぎ会社へ向かいました。作業中からいろんな方が声をかけてくれました。『早く再開して!』『タイヤがパンクしたけど直してほしい』と言う声が多かったです。津波で流れ着いた車からタイヤを外し、パンクしたタイヤと取り替えてあげたこともありました。中には『そんなことをしても無駄だ!止めろ!』って言う人もいました。そのくらいひどい状態でした。でも止めません。だってくるまやさんだから・・・。

ばらばらになったスタッフも徐々に集まりみんなで作業することができ、僅か三ヶ月と少しで、再開することができました。必要な機材や機械などを手配していただいた会長と社長に感謝です。あらためてありがとうございます。

再開から数ヶ月。一本の電話が入りました。かなり慌てた女性の声で、『エンジンがかからない。二時までに行かなきゃいけないところがあるから何とかしてほしい!』と。このとき一時四〇分。会社からその現場までどんなに急いでも二〇分!作業を含めると間に合いません。電話を変わり話を聞くと落ち着きがなく焦ってばかりで話になりません。私は『まず落ち着いてください。そして、二つだけ確認させてください。』と伝え、

私『まずセルモーターは回りますか?』 お客様『回りません。』 私『ではシフトレバーの位置はパーキングになっていますか?』 お客様『あ!Dの位置です・・・。かかりました・・・。』

良かったです。慌てると気づかないもんですよね。喜んでもらえました。あれ?今私車を口で直した?数年前の会長の言葉を思い出しました。こういうことか!

車の仕組など私たちにしてみれば当たり前のこともお客様にしてみれば当たり前じゃない場合もある。車に限らず、状況を把握し冷静に考えると、答えが出てきますね。もちろん車の知識と経験は大事ですが。会長すげ~な~!

現在、とても大きな新店舗をオープンし、ロータス倉本グループ三店舗三〇名で営業しています。スタッフも増え新人教育から作業までとても大変ですが、新しく毎日を過ごしています。聞くこと、見ること、触ること、そして関心を持つこと、四つのことを伝えていきたいと思っています。一番大変なのは社長ですけどね・・・。

小さかった息子も今では高校一年生、影響を受けたのかどうか分からないけど工業高校に入学しました。車などの機械に興味を持ち始めています。このままいくと将来はくるまやさんになれるのかな?先のことは分からないのですが、ちょっと楽しみです。 〔仕事は楽しく、遊びはまじめに〕

真剣に仕事をしないと楽しくないし、まじめに遊ばないと見えてこないことがあると思います。お客さんから見たくるまやさん。会社としてのくるまやさん。両立はなかなか難しいかも知れませんが〔くるまやさん〕への思いは強くなっています。いつの日か息子と一緒に働く日を夢に見ながら、毎日を過ごしています。

 

天職への道 株式会社川村自動車販売 佐藤信男

現在、自動車整備事業の職種に従事して、約二〇年になろうとしておりますが自分自身、ひとつの職業を継続し、続けられていることに驚いております。子供のころ、よく大人になったら 「どんな職業につきたい?」 と聞かれましたが現実的に、この仕事を「やりたい!」と思ったのは、中学二年生の頃よく我が家でお世話になっていた農業機械の販売修理をしていた方から、走れないミニバイクを戴き、教えてもらいながらポイントの接点を磨き、隙間調整をし、キャブレターの分解清掃をしエンジンが復活した時の感動よろこび おどろき これは自分で直したからこその感情、それからは農機具の修理に来るたびに見学させてもらい将来は修理の仕事がしたいと思うようになり今の会社に長々とお世話になっております。

以前社内目標で年間売上一〇億円、月販売台数一〇〇台、年間車検一〇〇〇台の目標が掲げられました。社員一同一丸となリガンバッテた・・・。

しかし、三月十一日 午後二時四十六分東日本大震災が始まってしまった。地震と津波、会社も浸水しましたが社員全員避難できました、怪我人や行方不明者が出なかったのが奇跡のような状態でした。震災は、それだけでは終わりませんでした。原発事故・・・。会社も自分の家も二〇km圏内、社員全員路頭に迷っていたに違いありません、社長は社員以上に苦悩していたはず。住む家を失い、避難所に入りましたが、携帯電話は繋がらず会社との連絡もとれず、実際は仕事ができる状態ではなかったのですが、お世話になっていた避難所には常連のお客様も多数おられました、気さくに話せる方々が多いため「カワムラはどうなった?」と聞かれましたが、事情を話すと「大変な事になっちまったなぁ・・カワムラやつてねぇーど困んだよなぁ」震災で失ったものが多い中、信頼、信用は残っていたと思わせてくれる言葉でした。その後は少しずつ仕事ができる状態になり、来店される方々から「カワムラさん頑張ってかっから、俺も頑張んねっかっ」とか「がんばって小高さぁ帰っぺな」など励ましの言葉をかけていただき、また県外に避難された方々からも遠い所から車検を持ち込んで頂いたり、感謝の気持ちで、自然に頭が下がります。震災前の目標に向けて努力しなければと思わされました。

年間車検一〇〇〇台には程遠いですが地道に信頼、信用を広めて目標達成し次ぎへ「ネクスト」がんばります。

お客様方とは、あの群青の町でまた会えたら嬉しいです。

 

お客様のあたたかさ 阿部勝自動車工業株式会社 志摩知絵

私は入社して7年目になります。営業マンとして働いていますが、この7年間の間に沢山の嬉しいことや楽しいこと、辛いことや悲しいことなど沢山経験してきました。車に知識の全くなかった私が今こうして勤められているのは仲間とお客様のおかげです。沢山以前は花屋さんでアレンジメントの制作や販売をしていました。営業経験のない私は毎日奮闘していました。

今では車の営業をしていなければ、絶対にできなかった経験や人との出会いにとても感謝しています。沢山の出会いの中で特に、私には新入社員の頃からお世話になり、いつも気にかけてくれるお客様がいます。

当時私は入社してすぐ、年に3回行われるユーズドカーニバルという大きなイベントに参加していました。そのイベントとは近くにある大型スーパーの駐車場を貸切り、お店から全ての在庫を運んでそこで販売を行う展示会のようなものです。先輩社員が次々と販売していく中で私は、1台も販売できず内心焦っていましたが、イベント期間なので成約率も高くチャンスでもありました。結局その日は接客するものの成約まで至らず、考えこんでいたところ、一人の年配の藤原さんという女性がタントを見ていました。声を掛けてみると今乗っている車の代替えで、体の不自由な旦那さんの病院への送迎に使われるということでした。

そこでシートアレンジや旦那様が乗られた際の使い勝手などを説明し、気に入っていただけました。タントに決めようということでしたが、一応、ご家族への相談が必要とのことで、「明日また契約にきますね」と帰られました。次の日、初めての1台が決まるという安心感とワクフク感でお客様の来店を楽しみに待っていました。しかし、そのお客様は来てくれません。約束は午前でしたが、お昼を過ぎても来店せず夕方になってようやく来てくれました。私は嬉しくなって元気に挨拶をして出迎えると、『お姉ちゃんごめんね~。予算の都合で車が買えなくなってしまつたの。本当にごめんねぇ』とお断りをされてしまいました。私は破談となったことで、とてもがっかりしてしまいましたが、すごく申し訳なさそうに謝られたので、『大丈夫ですよ。また次回余裕ができたら是非お願いします。』と答えました。すると『本当にごめんねぇ。昨日ね、一生懸命に説明してくれてとても嬉しかったのよ。だから次はいつになるか分からないけど、絶対にお姉ちゃんから買うからね!!だからそれまで頑張ってね。これ、少しだけど昨日のお礼ね。ありがとうね。』と、買ってきたお団子を渡されました。私は驚きと、わざわざ断るために、お団子を買って謝りにきてくれるなんて。と驚きと気遣いに胸の奥がじーんと温かくなりました。何をすればいいのかもわからず、心細かった私に営業の醍醐味とやりがいを与えてくれた最初のでき事でした。

この話にはまだ続きがあり、その後三か月程経ったある日のこと、展示場で洗車をしていると、『しまちゃ―ん』と手を振って私を呼ぶ女性が来店しました。タントを断ったあの藤原さんでした。急いで走って行くと、『約束通り車買に来たよ!』。私は本当に嬉しくてたまりませんでした。『あの時は買えなくてごめんね。まだ予算上タントは買えないんだけど。もう少しお手頃で良い車ないかしらねぇ?』と満面の笑み。私は張り切って一緒に車を探し、あれこれとおすすめの中で、シルバーのMRワゴンを購入して頂きました。商談中、何度も『志摩ちゃんから買えて良かった。良い買い物ができたねえ』と言ってくれて私は「本当にありがたいなと、絶対にこの出会いを大切にしなくちゃ」と思ったのを今でも鮮明に覚えています。藤原さんは、あれから来店してくれる度に成績も含め私のことを気にかけてくれています。

きっと営業をして居なかったらこんな体験や気持ちにも知らなかっただろうし、車の販売を通して、ただ接客をして売る&買うだけのことではないのだという事を学びました。今では、藤原さん以外にも沢山のお客様を担当させていただいています。ミスをして落ち込んでいるとき特に何かを言っていたわけでもないのに、お客様がお手製の元気が出る言葉が書いてある冊子を作ってきてくれたり、グリーター業務で寒いだろうからと手編みのマフラーを戴いたりと思いやりにあふれるお客様ばかりです。そして時には同じ営業職のお客様からもっと良くなるようにとアドバイスや指摘をしていただいたり。もちろん全てが良い事だけではありません。自分のミスでお客様にご迷惑をお掛けしてしまったことも多々あり、良い関係を築けなかったお客様もいます。その都度上司にフォローしていただいて、会社に迷惑をかけてしまったこともあります。そう言った経験を含め、私は沢山のことを学びました。初めからこれまで会社やお客様に支えられて仕事をしてきた私です。もちろん、優しさばかりではなく、厳しい言葉や成績という現実も営業マンにとっては切っても切れないことです。しかし、それも含め、一つひとつの経験を糧にして、自分の周り全てを笑顔にできる仕事をしていくことが私の夢です。

そして近い将来、阿部勝自動車工業を日本一、笑顔の集まる自動車販売会社にしたいと、私は強く思っており、これは必ず実現させたいです。

今の自分にできることは精神誠意本当の意味でお客様に尽くす事で売って終わり買って終わりの関係性ではなく、お客様もそして私もそして周囲の人すべてが笑顔になれる営業マンになりたいです。

そして、こうゆう気持ちに気付かせてくれたスタッフとお客様に本当に感謝しています。ありがとうございます。

 

総務が生む利益 株式会社八幡自動車商会 高橋 夏季

「総務の仕事はね、『社員の働きやすい職場をつくること』なんだよ。」社長から初めてその言葉を聞いたとき、何かこみ上げるような、ワクワクした気持ちを覚えています。

私は社会人二年目の春、車検フロント(PC当番がメイン)から、総務へ異動になりました。当時は、私の採用担当で尊敬していた先輩が総務をしていたこともあり、総務に選ばれていたことがとても嬉しく、誇りに思っていました。「あんな風にみんなから頼られて慕われる総務になりたい。」、「先輩みたいに渦の中心になりたい。」、「社員が楽しめるイベントを作りたい。」大きく胸を膨らませていましたが、いざ引継ぎが終わり一人になると、不安ばかりが募りました。最初は社長から指示を頂いたり、先輩に聞いたり、自分で考えたり。自分で考えてやってみなきゃと思えば思うほど、一人で抱え込んでしまうことが多くありました。売上も生まない、それでいて出費は生んでしまう。「私は何のためにいるんだろう。」そんな気持ちが時々顔を出しました。

ただ、そのたびに社長の一言「社員の働きやすい職場をつくること」というキーワードが、私の足を地につけてくれました。私はこの言葉を聞くと、とてもワクワクした気持ちになり、イメージが自然と膨らみます。企画したボウリング大会でスタッフがはしゃいでいるシーン、「よっしゃ、一台決まった!」「やった当月ゲットだ!」と、スタッフ同士ハイタッチしているシーン。注文していた新品のつなぎが届いて「ありがとう」と言ってくれるメカニックの姿。売上はフロントの方、メカニックの方、営業の方が一生懸命に上げます。私は、その大切なスタッフが、仕事に集中できる環境を作ったり、「この会社で良かった」と思ってもらえるよう、社長の思いをスタッフに繋いだりするのが仕事です。

私は正直、「この業界に入って良かった」ということはピンと来ていません。ただ間違いなく言えることは「この会社に出会えて良かった」ということです。いまだに失敗や不安の壁にぶち当たることは多いですが、「働きやすい職場をつくる」には何をすべきか、というところを考えて、さらに笑顔が飛び交う職場に貢献したいと思います。

 

誇れる仕事 株式会社ひまわりコーポレーション 田上浩司

自動車業界というくくりでいいますと、既にキャリアは十年は超えております、三十七歳の営業マン、田上浩司と申します。

未使用車を扱うのは、今の会社、ひまわりコーポレーションに入社してからでありまして、三十歳で中途入社させて頂いたので、七年ほどになります。未使用者業界での感動エピソードとなると、私の感動ポイントは、ダントツで「新卒採用」ですね。本当は、お客様との、心温まるエピソードなどを書き連ねたいところではありますが、私の一番の感動といえばこの「新卒採用」なのです。中古車販売店のイメージといえば、「学歴不問、金髪OK、汚れたツナギで接客」といった感じでした。前職中古車店勤務、次も中古車店というような、中途採用が当たり前の業界でしょう。胸を張って「車屋です。」と言えるのは、ディーラーの社員か、中古車店でも、オーナーぐらいでした。

そして、ひまわりコーポレーションは、私の入社当時は、「大阪では有名な中古車販売」というイメージのお店でした。他の中古車店と比べると、会社としての形がしっかりと形成されているお店ではありましたが、そのころはまだ、新卒採用をしていなかった為、三十歳の私が入社できたんですね。

そして、私が入社して二年目位だったでしょうか、社長から、新卒採用を始める事を聞かされました。正直言って、大学まで行って、車屋になりたいって人間なんているんですか、という思いはありましたし、恐らく、言い出した社長自身も、少しはそういう疑念もあったかと思います。現に、会社説明会や、面接に、たくさんの学生さんが来てくれた時に、ポロッとそのような事を口にしておられました。社長からすれば、「自分の会社に、こんなにたくさんの人間が入りたいと言ってくる。」ですから当然といえば当然でしょうか。それを聞いて、更に感慨深くなりました。そして、無事に採用活動が進み、実際に、大卒のメンバーが入社してきたわけなんですが、大学出ているからどうこうと言う訳ではなく、皆、初めは初心者であり、一生懸命に仕事を覚えようと頑張りますし、そうなればこちらも持っている知識をいかに上手く伝えるか、更には、知っているようで知らなかった事を勉強し直したり…。結局、同じなんですよね。私たちが通ってきた道とは、多少違えど、同じようなところで躓いたり、悩んだりしながら成長していくんですよね。そして、基本的に、学力の高い人が集まってきている訳ですし、もちろんまじめな人で、自社に合いそうな人を採用しているというのもありますが、人材にも恵まれ、会社として、少しずつではありますが、前進しているという手ごたえを感じております。ここからは、私たち先輩社員の牽引力と、新しく入って来る若い力の成長次第で、可能性は無限に広がっていくでしょう。そして、何より、そういう、優秀で若い人達と共に働き、共に成長し、時には斬新な考えに驚き、刺激を受けながら仕事をする…。こんなにやりがいのある仕事だったっけ、車屋って。昔のような歩合制の方が、頑張りがいあるやん、って言う人もいますけど、それって、なんか孤独で、お金の為にだけ働いている感じがあって、やりがいって言うのとは少し違うのかな、と私は思います。教え合い、励ましあい、時には注意しあい、共に成長していく。個性的なメンバーと共にです。現状、何も問題がないといえば嘘になりますが、問題のない所に成長なし、もっと言えば、問題、課題のない会社なんてないと思います。未だに、車屋って、「まともな人じゃないんじゃないの。」なんて言う人もいますけど、今は堂々と言えます。

「お仕事は。」と聞かれたら、胸を張って「車屋です。」と。

 

車屋さんで働く楽しさ 株式会社ひまわりコーポレーション 寺本里奈

縁あって入社させていただくことができたのが今の会社ですが、入社当初は車屋さんというと少し怖いイメージがありました。何せ車の事をよく理解していなかったので、ちゃんと働けるかどうか不安でした。しかし一緒に働くスタッフの方が優しく親切に教えてくださったこともあり、安心して仕事に励むことができました。

入社して一ヶ月間もない頃、一人で接客に入りました。しかしお客様からの質問にろくに返答もできず、その都度先輩やカタログなどで確認して走り回っていました。こんな頼りない接客でしたが、最終的には成約をいただくことができました。初めての成約で嬉しい気持ちと、たくさんの迷惑をかけてしまったことに申し訳ない気持ちで何とも言えない複雑な気分を味わいました。

帰り際、お客様から「他店も見てたけど寺本さんが一生懸命で気に入ったからここで決めたよ。頑張りや。」と言っていただけました。お車を引取りに来られた時も笑顔で嬉しそうに帰って行かれて、私までもが嬉しい気持ちになりました。その時私は何て楽しい仕事なんだ、これからも多くのお客様に笑顔を作っていきたいと感じたのを今でも覚えています。

それから私はお客様から嬉しい手紙を頂いたり、お友達をご紹介して頂いたり、本当に車を通してお客様と長いお付き合いができるのだと実感しました。さらにお客様と濃い接客ができて、信頼関係が築き上げる車屋さんで働いていることに誇りを持ちました。落ち込むことがあってもお客様との楽しい会話や嬉しいお言葉をいただけることで嫌なことも吹っ飛ぶ程、気持ちが楽になりました。ライバル店はたくさんある中、自分自身を好きになってもらい、お客様のお役に立てたと感じた時、ここで働いて良かったと感じます。

しかし月日は経つと感謝の気持ちを忘れてしまったり、その日の気分で左右されたり、一人ひとりのお客様に百パーセントの気持ちで接客できていなかったり、後々反省する点がでてきます。

そんな荒んだ気持ちを上げてくれるのが船井総研さんの研修や他店舗の見学などで他店の方と交流する時です。同業他社から学ぶことは非常に多く、確実に自分の成長の糧になっています。

特に私は同期がいないこともあり、新人研修や他店舗見学などで同年代の方と交流できることがとても新鮮でした。また、近況報告など他店の情報や実績を知ることで自分の気持ちを奮い立たせることもできました。他店にはこんなに意識レベルの高い人たちが大勢いるのだと毎回圧倒されて居ました。私も負けているわけにはいかず、次お会いするまでに自分の成長した姿を見てもらいたいと思い、日々勉強、日々発見を怠りませんでした。

そしていつの間にか、月に一回の社長さんや店長たちが集まる研修に連れて行ってもらえるようになりました。こんな若くして質の高い研修を学ばせていただき、本当に自分はラッキーな人間だと感じました。そして若い内からこんなにたくさんの研修に行かせて頂き、学ぶ機会を与えてくださった社長に感謝の気持ちでいっぱいです。早く実績をだし、業績をあげて恩返しがしたいです。

今では店長という役職に就かせていただきました。人を育てていく立場でもあり、全体をまとめていかなければならない存在でもあります。まだまだ力不足、経験不足ではありますが、今この一瞬一瞬を大切にして、常に向上心を持ち続け、これからもより一層力を入れて仕事に励んでいきます。そして車屋さんで働く楽しさ、密の濃い人との繋がり、それを通して深まる人間力、自分を成長させる事ができる車屋さんの楽しさをこれからの若い人達に伝えていきたいです。

 

人の温かさ 株式会社カミタケモータース 長棟多香恵

十六年間のソフトボール人生を終え、次に打ち込めることを探していました。実は、実業団に行きたい気持ちが強かったが、現実はうまくいくわけもなく、社会の汚さを知り、うんざりしていました。やりたい仕事に就けず、内定欲しさにカミタケモータースへ入社します。当初は、一年間だけ続けて辞めようとまで考えていました。車の知識も興味もない、やる気さえも少なかった私に、入社前から上司や後輩は親身になって教えてくれていました。半年経った頃、そんな先輩たちの想いに耐えきれない時期がきます。そしてやりたかった仕事のオファーもくるというタイミングの良さに、退社を決めます。しかし、辞めることができなかったと言っていいかもしれません。そのエピソードが、今ここに居て、リーダーまで上がることができたのです。

そのエピソードは、上司に報告するために居酒屋にて六時間にも渡り話をしていました。たわいもない話から本題へ。お互いの想いをぶつけ合います。入社して半年しか経っていない私に、ちゃんと話を聞いてくれた姿は今でも鮮明に覚えています。そして、今ここに私がいるきっかけは、その居酒屋での上司の男泣きでした。

「ごめんな。でも俺はお前と一緒に働きたい。俺と一緒に作っていこう。俺に力を貸して欲しい。」この言葉だけなら、ダサいとか弱々しいとか、思うかもしれませんが、不思議なことに全くそのようなことを感じることがありませんでした。今の私が一年生に向かって同じ言葉を伝えることができるだろうか。真似できません。あの場での言葉や涙の重みは忘れることはないでしょう。そして、手を出し、「握手しないと、俺は帰られへん。今返事してくれ。」まさしく商談でした。このような風に即決を取っていたのだろうと感心する場面でもありました。私の前に手を何度も突き出して握手を求めてくる姿とその想いにここまで見ようとしてくれている、見ていてくれたことに心打たれました。退社する気持ちもなくなりました。この人のために、先ずは結果を出したいと、スイッチが入った瞬間でもあります。周りから見ると不倫相手との別れ話だと思われていたはずです。そのような場所でも、周りの目を気にせず泣きまくる上司の姿は、かっこいい上司です。でも、ただあの時は、早く帰りたい気持ちもあり握手をしてしまったかもしれませんが、結果的に私の中で気持ちが楽になったのも事実です。仕事に向かうことや接客が楽しいと思うようになりました。当たり前ですが、一人ではないこと、一人では何もできないことを教えて頂きました。そのような当たり前のことさえ気づけなかった半年間。ただ、その半年間があったから、人としてしっかり向き合いたい気持ちが強くなりました。そして、カミタケモータースは、結果を出せばちゃんと評価してくれますし、結果だけでなく過程にも目を向けている会社です。認めてくれる先輩、上司、会社が周りにいることが私の誇りです。

 

オイル交換 株式会社エアスト 原大輔

大学を卒業して、初めて就職したのが今の会社です。車販売の営業として入社して、二年目に入り仕事にも慣れてきた頃、一本の電話が鳴りました。

「原さん、宮本様からお電話です。」 宮本様。三ヶ月前にアルトエコをご購入。年齢は七十くらいで、元マツダの整備士。見た目も話し口調も根っからの頑固職人。正直苦手なお客様。商談のときの苦い思い出が脳裏を過ぎりました。 「オイル交換は自分でやるから、安くしてくれ。」 「若い社員が多そうだが、ちゃんとした整備士はいるのか。」

メンテナンスパックの項目一つ一つに細かく指摘をされて、商談は終始宮本様のペースでした。正直、初来店の日にご帰宅されたときは、もうだめかと思いました。それでも、二日間にも渡る商談で、何とかご成約をいただきました。

「原君、オイル交換いつ空いてるかな。」 受話器から聞こえたのは意外な一言でした。オイル交換は自分でやると言っていたのに、何でご予約されたのだろうか。

その後、オイル交換にみえた宮本様に、勇気を出して、オイル交換をご予約された理由を伺いました。

「原君が三ヶ月に一回顔見に来てくれって、言ったからオイル交換ついでに来たんだよ。自分で言っといて忘れたか。」

ちょっと不器用な顔で宮本様は答えました。この言葉を聞いたとき、商談の最後で、自分が言った言葉を改めて思い出しました。二日間の商談が終わり、お見送りの際に何とかして仲を深めたいと思い、ついて出た一言でした。

自分の一言を覚えていて、行動にまで移していただいた宮本様。正直、この言葉を聞いたときは本当に嬉しかったです。それとともに、これだけ自分のことを気にかけてくださるお客様を大切にしていきたいと思いました。 「原君、元気にしとるか。」 今では、少し苦手だった宮本様からの電話ほど嬉しいものはありません。

 

あいさつの種まき 株式会社八幡自動車商会 星川梓

私は高校卒業後、販売業、飲食業などの接客業にしか就いたことがありません。その都度、大事だと思うのはあいさつの大切さです。自分がお客様となり、お店に入った時、あいさつで印象が変わってしまうのを実感する時があるからです。

若かったあの頃は、マニュアル通りで声も小さく、笑顔もそこそこのあいさつだったでしょう。仕事をこなすことが先になってしまい、二の次であいさつの大切さなんてあんまり深く考えていなかったと思います。

それから時は過ぎ、いろんな経験を積んでいく中で、自分の中で一つのルールができました。それは「あいさつだけは誰にも負けない」ということです。私は物覚えも悪く、要領も決して良いとは言えません。今も周りの皆さんの助けがなければどうなっていたか、わからないくらいです。

初めて会社に足を踏み入れたのは面接の時でした。今もお世話になっている備前店長に「うちのお店の印象はどうですか?」と聞かれました。「みなさん笑顔で大きな声であいさつをして下さって、明るい雰囲気ですね。」と言うと、誇らしげにしていた店長を今でも覚えています。

そして、今こうして八幡自動車商会でお世話になっています。同じ接客業とはいえ、まったく初めての自動車業界に、やはり悪戦苦闘の日々。聞いた事もない専門用語や慣れないパソコン業務。つまづいた時は気持ちも曇ってしまいがちですが、そんな時でもあいさつは笑顔で、大きな声でできるのがプロの接客業だと思います。

車検は二年に一度来店して頂いても次に会えるのは二年後になる可能性もあるのです。二年後もまた足を運んで頂きたい。それにはやはり明るく元気なお店作りは不可欠です。それができれば車検だけでなく、オイル交換や一般整備、鈑金などの沢山の来店のチャンスに繋がると思います。一度来店したら、また来たい!と思っていただけるように、今日もあいさつの種まきをしたいと思います。

 

天職への道 株式会社八幡自動車商会 本間義治

小さいころから機械的なものや、自転車が好きだった自分。高校に入りバイクに興味を持ち始め、学校が終わると自宅でエンジンを分解しては組立ての繰り返しでした。当時は将来なりたい職業などは特に無く、興味のあることだけに熱中していました。

高校も卒業間近になり、特に夢も無かった自分は、とりあえず大学でも行くかと適当に決めましたが、受験勉強もろくにしていないので大学は見事落ちました。

一年間地元を離れ、大阪、千葉と移り住み、バイクが好きだったので整備の専門学校に入ることにしました。二年後の就職活動で、進路指導の先生にディーラーで一番厳しい会社に入りたいと言ったところ、某デイーラー企業が一番厳しいと聞き、面接を受け入社することになりました。

入社前に約一ヶ月間ホテルを借りて、竹刀を持った鬼教官の下で研修を受けました。毎年脱走者が出るくらい厳しい研修でした。入社して営業所に配属になりましたが、ここでのサービスマネージャーや工場長もとても厳しく指導してくれる人でした。社内の資格制度も難易度が高く、成長するにはとても良い勉強でした。

あの時の経験があったからこそ、今いろいろな事に挑戦できているのだと思います。今の会社に入社し、四ヶ月目くらいに椎間板ヘルニアで緊急入院&手術で休職した時に、もう整備ができないなら辞めようかと思っていました。社長にも話しましたが、「整備じゃなくても他にやれる仕事がいっぱいあるよ」と、言われ、辞めずにここまで来ました。

あれから十年の間、いろいろな部門でたくさんの経験をさせて頂きました。現在では、またメカニックに戻り腰を労わりながら整備をしていますが、勤続年数も長くなり、次々と新しい世代が入社しています。今までのように現場に入り黙々と仕事をするのではなく、次の世代に今まで学んできた良い所を伝授していくことが、これからの自分の進む道だと思います。

働けてもあと十五年。より多くの人材を育て、会社も大きく立派にし、全ての社員が幸せになれるようにしていきます。

 

続ける理由 株式会社カミタケモータース 森田将嵩

私がこの業界に入ったのは本当に単純な理由でしかありませんでした。 一つが「会社が実家から近いこと」、もう一つは「エンジンの付いてる機械が好き」という二点のみ。当時の弊社は新卒採用も始めたばかりでとてもぎこちなかった覚えが今もあります。入社して最初に驚いたのは社屋のボロさでした。冗談を抜きにして本当に傾いてました。こんな環境で仕事をするのかと思いながら研修が始まりました。

研修の冒頭に当時の店長から話があり、その中でも印象に強く残った言葉が、「俺は大卒に負けたないねん。」という一言。「よもや最近大学を卒業した社員に言う言葉か」と思い、この時から、自分にはこの会社は合わないと感じて辞めようか迷い始めてました。

そして研修も一通り終え、損保の試験を受けました。私は営業として入社したのでこの試験は絶対に落とせません。

だが見事に落ちました。これでは仕事ができないので会社が用意してくれたのがコーティングでした。当時は外注から内製化にしようとしていて試験に落ちた私と同期が配属されました。もちろん作業は楽しくもなく、やり甲斐なんて少しもありません。この時にはもう辞めることは決めていました。ただすぐに辞めるのは格好がつかないと思い一年は頑張ろうと思い、仕事をしていました。

そこで一つの転機が訪れました。損保の試験に受かった私達に会社から営業になるチャンスを与えてもらいました。内容は簡単でロープレの試験に合格すれば晴れて営業デビューというもの。営業志望だった割に人と話すのも笑顔も苦手だった私は猛特訓が始まりました。それも朝早くから夜遅くまで。その時にやった内容は頭が一杯になってたのであまり覚えていませんが、はっきり覚えていることは仲間が増え、協力してくれたことと、それに対しての感謝の気持ちです。

辞めるつもりで適当に働いて、気持ちを一つにして頑張って仕事している仲間を疎ましく思っていた自分に手を差しのべてくれ、時には本気で怒り、時には力いっぱいほめてくれました。最初このロープレ試験も辞めるつもりだったので、やる気もゼロでしたが、同期や先輩、上司や社長、はたまた社外の方まで協力して下さり、その姿や心の温かさに心が動かされました。

「この人達の為にも絶対受からないと。」という一心で練習を重ねました。そして試験の当日、気合いの入れ過ぎと緊張で全く話せず、当然試験も落ちました。

ただ変わったことが一つ。それは自分の中から辞めるという選択が消えたことです。

営業がダメでもコーティングで頑張ろうと思っていました。それは皆が協力してくれた事への感謝以外ありません。

「この会社で自分ができることをやって恩返ししよう。」そう思えたのです。もし本当に一年で会社を辞めていたらとんでもない人生を送っていたと思います。

そんな私も今年で七年目になりました。 自分が変われたのも、今こうして働けているのも仲間のおかげです。そんな会社や仲間が大好きですし、誇りに思います。

あれから自分自身がどれだけ恩返しできたか、どれだけ自分自身が成長できたか分かりません。

でもこれからもあの時の想いを忘れないことに加えて、もし私と同じような気持ちの仲間がいれば手を差しのべてあげようと思います。

 

母として息子に伝えられたもの 株式会社ロイヤルオートサービス 山口久美子

お客様との大切な商談の最中に私の携帯に知らない番号から着信がありました。少しイヤな予感がした私は、お客様に一言お断りをし、電話に出ました。電話の相手は息子の通っている高校のサッカー部の監督でした。

「息子さんがサッカーの試合中にケガをしまして今、病院に運んでいる途中で…。」という内容でした。私は心臓がドキドキし、頭の中が真っ白になりました。ですが、我に返り、お客様とのクロージングに入りました。無事ご成約いただき、車で舞うように息子が運ばれた病院にかけつけました。

肩が脱臼して戻らなくなってしまい、麻酔をして入れてもらった…とのことでした。私の仕事を理解している息子は、私が来てくれると思っていなかったのでしょう。「あれお母さん、どうしたの。来てくれるなんて珍しいね。」と笑顔で言われ、私は安心感と息子の言葉に涙が止まりませんでした。

息子は幼少期からサッカーを続けてきて、土日のほとんどが試合と練習でした。試合の日の私の役目は、お弁当を作るということだけで、試合を観に行くことも送り迎えをすることもできませんでした。そんな私を非難するお母さん達も少なくありませんでした。ですが私は何を言われても仕事優先という方針は変えられませんでした。

「ごめんね。いつも仕事で試合も観に行けなくて…。」という私に、息子は「今日もまたゴールを決めてくるよ。だからお母さんも頑張って。」と反対にエールを送られていました。

私は毎日のように会社でのでき事、お客様とのエピソードを家族に話していたので、息子は楽しい職場なのだろうと想像していたのだと思います。お母さんから仕事を取ってはいけない…と思っていたのかもしれません。

私は家族、息子が居たからここまで頑張ってこれました。ずっと応援し続けてきてくれた息子に心から感謝しています。

そんな息子もアッという間に二十三才。今年から社会人となりました。毎日、私と同じユニフォームを着て張り切っている・・・。ロイヤルオートサービスのピッカピカの一年生です。

 

地元の復興のために 株式会社川村自動車販売 荒里緒

私が、会社を知ったのは高校三年生の頃でした。震災の年が高校二年生で母校は警戒区域に指定され、他校の教室の一部を借りていました。それから一年が経ち、進路に悩んでいましたが母校がある警戒指定区域の中から復興して営業を再開した企業を見つけました。私は心を動かされました。3.11の辛い過去から立ち上がった強い企業でした。私もこの会社の一員になりたいと思いました

「いらっしゃいませ。」 お店に響き渡るにぎやかな声は震災を感じさせない、明るく元気な会社です。私はこの会社の一員となり一年半が過ぎました。お客様からはげみの言葉を頂きながら成長してきました。中には、震災・津波・原発の被害を受けた方たちも沢山います。それにもかかわらず、前進しているお客様の姿を見ていると、こちらも元気をもらえるものです。震災前からのお客様に支えられながら継続してこの会社を維持していくことができます。共にはげまし合って地域で信頼できる車屋さんをモットーに、これからも感謝の気持ちを忘れず頑張っていきたいです。

私はこの会社に入って、地元の復興に協力していきたいと思いました。友人が県外へ離れていく中で私は地元に残って何かできることはないか沢山の恩返しをしたいです。まだまだ復興できずにいる地域もありますが、私が働く会社から元気を発信していければなと思います。自動車を販売することも通じて、人とのつながりや絆を大切にし、地元の復興に貢献していければと思います。

 

私の天職 株式会社川村自動車販売 相良巧

私は小さい時から物を作るのが好きで、整備士になるきっかけが高校の実習でガソリンスタンドの分解組立をした際、分解前はエンジンが始動しなかったのが組立後なんとエンジンが始動したのに驚きと感激を覚え、将来はこういった仕事につきたいと思いました。

実際に仕事をしてみるといろんなお客様に出会ったりして正直仕事が嫌になったりしました。「昔の整備士は作業さえしていればよかったが、今ではお客様と会話して仕事をいただくんだよ。」と私の叔父が言ってました。私の叔父も整備士でよく親の車を面倒みてもらったりしていました。お客様もいろんな人がおり、意見も十人十色で苦労したこともありました。私は昔から喋ることは苦手ではなかったのでお客様と会話することも苦ではありませんでした。しかし、お客様の中には地域により口調の強い人がおり新人の頃は苦労しました。でも、話していくうちに心を開いてもらい、名指しで呼んでもらうこともありました。その時は、この仕事をやってて良かったと思いました。

もっとも整備士になってよかった思った時は、二〇一一年三月十一日の大震災で避難していた先でのでき事でしたが、高速道路で走っていた時に、路肩に止まっている車があり、その横には老夫婦の姿、私は何かできないかと思い止りました。

話を聞くとパンクしたとのこと。私はスペアタイヤと交換してあげるととても喜ばれて帰られました。震災があり、就寝場所の提供や食料をいただいて、とても感謝しました。私はその時とても整備士をやっていてよかったと感じました。また、お客様に喜ばれるよう車の知識を最大限に発揮し頑張っていきたいと思います。

 

天職への道 株式会社川村自動車販売 佐藤勝

私は整備業界で働くようになって約四十年になります。色々な会社に何社か勤めてまいりました。会社によってさまざまな会社がありましたが、最初の会社で働くようになったとき、とにかく技術を早く覚えようと一生懸命でした。しかし、若かったせいか、仕事も覚えていない中途半端な状態で最初の会社を退職しました。その後、ガソリンスタンドに勤めました。そこで学んだことがお客様に対する接客でした。

その後やはり整備士をしたく、次の職場へ勤めました。その会社では、お客様と直接接することが少なく、毎日がただ作業に追われる日でした。しかし数年後、お客様と直接接する業務になり、お客様から「ありがとう。」と言われ、とても嬉しかったことを覚えています。

しかし、時が経つと、それが当たり前のようなことだと思うようになっていました。その後、一身上の都合により、その職場を退職し、県外へ引っ越すこととなり、新しい土地で職場を探すようになり、現在勤めている職場に出会い、現在に至っております。個々の会社は中古車販売と整備を行なっている会社でした。お客様と直接接することも多く、お客様から「直してもらって、ありがとう。」と言われることが多く、自分自身このように言われることで、本当に心の底から「ありがとうございました。」と言えるようになりました。

そして忘れもしません、平成二十三年三月十一日東日本大震災が起こり、私は南相馬市に住んでいたので、原発から三十キロメートル圏内でしたので、原発事故により避難を余儀なくされました。いわき市の知人のところへ避難しましたが、何日もいることはできず、今後自分たちの生活、会社はどうなるのだろう、と何日間かそのような思いをする日々でした。

その後お客様はどうなったのか、心配でもありました。

その後会社の社長の奥様より電話があり、社員全員とお客様数名が集まり、会社内の片づけをしました。お客様自身、自分たちも被災しているのにお手伝いしていただけることが、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

その後会社のある小高町も原発から二十キロメートル圏内でその場所での事業の再開はできない状態でした。

やっと見つかった仮の場所で、その間整備振興会さんから私の携帯電話に連絡があり、お客様から「御社は営業しているかどうかの問い合わせがあった。」ということを聞き、嬉しく思いました。

そして、避難先が関東方面または、青森県、その他各地に避難されたお客様がわざわざ来店してくるのです。

本当に人と人とのつながりなんだと思い知り、お客様への感謝でいっぱいでした。

 

この仕事に就いて良かったこと 大久自動車販売株式会社 佐藤祐一郎

私が、この仕事について良かったことは多くの人に出会うことができ、多くのつながりが持てるということです。

つながりというものを、強く感じるようになったのはやはり東日本大震災を経験した部分も大きくあるかもしれません。私は、いわきの新店オープンに伴い立ち上げメンバーをして、友人も知人誰も知っている人がいない土地で働くこととなりました。オープンから数ヵ月後東日本大震災が発生し、電話がつながらなかったり、水が出なかったり、食料、ガソリンが手に入らないという状況になり、この先店を続けていけるのかという時期もありました。時間はかかりましたが、通常営業できるようになりました。通常営業できるようになるまでには、震災前に車の契約をいただいた方に納車を待ってもらったり、地元採用の家族の方に食事等のお世話をしていただいたりと、本当に書きなれないくらい色々な方たちの協力や努力があり辿りつくことができたと思います。震災時、車の販売を通しての人とのつながりは、本当に見知らぬ土地に一人暮らしでいた自分にとっては心配し合ったり不安を取り除くことができるものでした。

また、車販を通してもつながりを強く感じる部分、出会いのおもしろさがあります。営業としてまだまだ五年目ですが、まず、お父さんが車を購入していただいて、「まだ先だけど娘と息子がいるから必要になるから。」と言っていたご家族が本当に数年後に、「娘がこっちで就職したから買いに来たよ。」と言って二台目、三台目と購入してもらったり、親子でご来店され初めての車を購入していただいて数年後に名字も変わり旦那さんと小さな子供を連れて新たに車を買いに来ていただいたりと、自分からまた次の車を買い求めていただけるというのは、とれも嬉しいものでもあり、信頼されているということで自分の自信にもつながります。あと、なんと言っても、様々な人と購入後も点検や車検等でお店に来店される際に、何気ない会話を交わしたり、買っていただいた車でどこどこに行ってきたんだなどとお話できることが、何より嬉しいですし、自分のやる気につながりますし、この仕事に就いて良かったと感じます。

今後も、「つながり」というものを大切にして営業を続けて、数多く車を販売していきたいと思います。

 

私がこの会社で働く理由 株式会社川村自動車販売 高平恵子

私が、川村自動車に入社したのは平成二十一年。事務職での中途採用でした。前職で色々とあり、とりあえず自分にできる仕事があるなら何でも良いという気持ちでの就職。車に乗ることは生活に必須な土地柄ですが、特に車が好きという訳でもなく、これで勤まるのかなと思いながらの入社でした。

入社してまず感じたことは、お客様との距離感がとても近い会社なのだということ。車の販売がメインの業務で、所謂お買い物ができればお客様とはそれで終わりだと思っていたので、ご近所の方がお茶を飲みに来られてスタッフと談笑している様子や、お土産を持って顔を出ししてくださるお客様がいることに軽い衝撃を受けました。

仕事を続けるにつれ、社長や奥さんをはじめ周りのスタッフがどんなに些細なことでもお客様のお話に親身になり対応している姿を見て、お客様に信頼されているという会社だということが理解できました。相手の立場に沿って仕事をしているからこそ、お客様は気軽に来店してくださるのだと。自分もそんな会社の一員として恥ずかしくないようにしなくてはと思いました。

どうにか業務を覚え、接客や販売にも少し慣れてきた頃。東日本大震災がおこりました。あの時、津波にのまれていく会社を目の当たりにしてもどうすることもできませんでした。その後、家族の事情もあり私は遠方での避難生活を送りました。自分のまわりのことで精一杯で仕事のことを気にする余裕も無く、きっとこのまま会社は終わってしまうのだろうと思っていました。

ところが、社長や店長や現地に残ったスタッフは、自分たちも被災しながらお客様の車のために働いていました。あの日、私が納車準備していたお客様にも後日納車していたことを聞き、何もできない自分に避難先で一人泣きました。

しばらくして避難から戻った私は自身の環境の変化もありましたが、会社の厚意でパートとして勤務することになりました。仮店舗の営業ではありましたが、震災後の混乱の中でもお客様第一で仕事をしてきた会社には、たくさんの信頼が寄せられていることを実感する毎日でした。

その後、隣県での新店舗設立にも関わり、一から地域のお客様との関係を作り上げていく難しさに、社長や奥さんが時間をかけて築き上げてきた業績の凄さを実感しました。また、本社の移転開業時にも本当にたくさんのお客様がご来店されてお祝いしてくださり、この会社が必要とされていることを感じ、嬉しく思いました。復興が進んでいるとは言い難いこの地域での営業は簡単なことではありませんが、周りのスタッフは前向きな人たちばかりなので、一緒に仕事をしていて笑顔の絶えない職場で安心です。

未だに自分自身がこの仕事に向いていると思ったことはありませんが、お客様の信頼に応えるという姿勢だけでは忘れずに日々過ごしていきたいと思います。

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